気ままなピークハンターズの忘備録

自由気ままに目についた記事を掲載して参ります

舟鼻峠 3つの町村が交わる峠

こんにちは!

本日の記事は福島県下郷町南会津町、昭和村の境界、

国道400号線にある舟鼻峠(ふなはなとうげ)を掲載してみたいと

思います

舟鼻トンネル

舟鼻トンネル

峠自体は下郷町と昭和村の間にあるのだが、下郷町と昭和村を結ぶ県道346号線上ではなく、南会津町(田島)と昭和村を結ぶ国道400号線上に位置している しかし国道400号線の新道トンネル(舟鼻トンネル)は県道346号線の側に取りついていて、ややこしいことになっている

舟鼻峠(ふなはなとうげ)周辺の地図

船鼻峠へは船鼻トンネル手前の旧道を南会津側より右方向に進みます

今回、旧道ゲイトは車で進入することができておりました

船鼻峠への旧道(この画像はネットに掲載されていたものをお借りしました)

おそらく普段は入口が鎖でつながれており車は通行止であると思われます

舟鼻峠(ふなはなとうげ) (船ヶ鼻峠) 標高1030m

舟鼻峠は、日光と会津を直結する国道121号線沿いにある田島の町から、只見川筋の金山の町に抜ける道にある峠である 位置的にはまずまず利用価値のある峠道と考えられる 人口の少ない一帯を進む、明るいながらにどこか淋しい感じのする静かな道である

落ち葉に覆われていた舟鼻峠(ふなはなとうげ)

舟鼻峠(ふなはなとうげ)

この峠の名前の由来は、峠より西に延びる稜線上にある、舟ヶ鼻山(こちらも船鼻山とかいろいろ)によるものだ。山の形が、舟を逆さに腹を上にして干したように見えるので、舟ヶ鼻となったそうである。
峠を通る国道400号の前身は、県道田島金山線で、峠はその県道一番の難所であった

船鼻峠は、かつて交通の要衝として栄えました。特に古くは、人や物資の重要な移動ルートであり、地域の文化や経済に大きな影響を与えてきました

交易路: 異文化交流の場として、様々な物資が運ばれました

軍事拠点: 地形的な特徴から、合戦の舞台にもなっています

落ち葉に覆われていた舟鼻峠(ふなはなとうげ)

舟鼻峠(ふなはなとうげ)は今回、運良く車で進入する事が出来ましたが、

これから先、人も車も入ることもなく埋もれていく運命にあるのでしょうか?

舟鼻峠(ふなはなとうげ) 旧道より船鼻トンネルを眺める

南会津町側より船鼻トンネルを眺める

船鼻峠はトンネル中間の真上にあると思います

 

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右左口峠(うばぐち)駿河と甲斐を結ぶ最短路の峠

こんにちは!

今回の記事は武田信玄織田信長も兵を率いて通った由緒ある道 

中道往還の難所 右左口峠(うばぐちとうげ)をお届けしたいと思います

2025.10.27 上九一色村(かみくいしきむら)精進湖側より酷道をひたすら

車で走りたどり着きました かつて中道往還(なかみちおうかん)と呼ばれた

歴史ある峠 しかし辿り着いた右左口峠(うばぐちとうげ)は

歴史の面影が消え去った送電線鉄塔の工事現場と化しておりました

甲斐側より眺める右左口峠(うばぐち)

工事車両で埋め尽くされた右左口峠(うばぐち)工事現場

右左口峠(うばぐち)より上九一色村(かみくいしきむら)方面を眺める

辛うじて残っていた中道往還(なかみちおうかん)の案内図

戦国時代には駿河今川氏が甲斐へ侵攻する経路となり、武田氏は本栖城富士河口湖町)を築いた 右左口の日陰山(標高1025.3メートル)中腹には金刀比羅山砦跡(こんぴらやまとりであと)があり、武田氏が築いた中道往還の押さえの城、もしくは烽火台である可能性が考えられている 天正10年(1582)3月には織田信長徳川家康連合軍の武田領侵攻により武田氏が滅亡し、徳川家康が街道を整備したという(『信長公記)同年6月には本能寺の変により武田遺領をめぐる天正壬午の乱が発生し、甲斐では家康と相模国北条氏直が対陣する 『家忠日記』11月4日条・12月7日条では徳川方が山城を築いており、これが金刀比羅山砦にあたると考えられている なお、金刀比羅山砦の北側には右左口砦跡が所在している

右左口峠(うばぐち)の残されていた峠道

右左口峠(うばぐち)地図 

標高

850m

右左口峠(うばぐち-)とは、山梨県甲府市にある山梨県道113上にあり

中道町と旧上九一色村間の

武田信玄織田信長も兵を率いて通った由緒ある道 中道往還の難所 右左口峠(うばぐちとうげ)である ここはもともと徒歩の峠しかなかった そこに地元の要望により県道甲府精進湖線の開設が行われた それがこの道路である ここは自衛隊によって開削された道路でもある

右左口峠(うばぐち)送電線鉄塔工事着工前の姿

(ネットに掲載されていた画像をお借りしました)

右左口峠(うばぐち)送電線鉄塔工事現場

右左口峠から資材搬入レールが引かれている画像

(ネットに掲載されていた画像をお借りしました)

右左口峠(うばぐち)送電線鉄塔工事現場

上九一色村(かみくいしきむら)の標識 本格的な工事が始まる前には

この標識が存在していたようです

(ネットに掲載されていた画像をお借りしました)

かつて魚売りの道として使われ、駿河で獲れたアワビが甲州に運ばれ、

名物の煮アワビも生まれた歴史ある峠も失われた道となるのでしょうか?

 

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スカイバレー白布峠を越えて米沢上杉神社へ

こんにちは!

今回の記事は裏磐梯カイバレー白布峠を越えて米沢上杉神社へと題しまして

8月初旬の旅の模様をお届けしたいと思います

裏磐梯カイバレー白布峠を越える際はあいにくの雨模様で桧原湖磐梯山の絶景

を見ることは出来ませんでした 快晴の紅葉シーズンの良き日に再度訪れて

みたいと思っています

雨模様の白布峠

晴れていればこちらの方角より桧原湖磐梯山の絶景が見られたはず!

裏磐梯カイバレー案内図

白布峠より米沢市上杉神社へ向かいます

雨で霞む裏磐梯カイバレー白布峠

白布峠(しらぶとうげ)  1410m

福島県北塩原村檜原早稲沢と山形県米沢市関大白布の間にある

県道2号・米沢猪苗代線の峠

裏磐梯カイバレーヒルクライム 自転車の大会が行われる白布峠

白布峠の展望台からは桧原湖磐梯山の絶景を味わえるほか、天候次第では、北の飯豊連峰や朝日連峰も遠望できます 特に紅葉の時期はお勧めで、ナナカマドやヤマウルシなどの深紅とダケカンバの黄色、トドマツの緑のコントラストが鮮やかとのことです

日本百名山のひとつ、標高2035mの西吾妻山霞んで見えます

上杉神社入口でお出迎えの上杉鷹山公像

上杉神社入口

上杉鷹山公の名言

なせば成る 成さねばならぬ 何事も

成らぬは人の なさぬなりけり

上杉鷹山公像

 

上杉神社鳥居

上杉神社参拝

上杉神社(うえすぎじんじゃ)は、山形県米沢市にある が岬公園米沢城址)に位置し、上杉謙信を祀る 旧社格別格官幣社江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ

上杉謙信天正6年(1578)、越後春日山城で急死した際、遺骸は城内の不識庵に仏式にて祭られたが、次代の上杉景勝会津を経て慶長6年(1601)に米沢へ移封されたのに合わせ、謙信の祠堂も米沢に遷された

併せて米沢藩中興の名君である上杉鷹山を合祀し、山形県社「上杉神社」とした 明治9年1876521、現在の旧米沢城奥御殿跡に社殿が遷座された

上杉神社(うえすぎじんじゃ)御朱印

米沢春日神社鳥居

米沢春日神

春日神(かすがじんじゃ)は、山形県米沢市にある神社 春日四柱大神春日権現) 沢藩上杉家氏神で、春日山林泉寺の鎮守であった

上杉謙信大和国春日大社より分霊し、越後国春日山城に創設した 上杉家の会津藩米沢藩転封に伴って移転し、元和3年(1617)に林泉寺とともに林泉寺境内に移転した

 

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御霊櫃峠

こんにちは!

本日の記事は福島県郡山市にある御霊櫃峠(ごれいびつとうげ)を

取り上げてみたいと思います

最近、日本の歴史ある峠にはまりまして各地古来の峠巡りの旅を

行っています

御霊櫃峠は幕末期戊辰戦争の古戦場であり平安時代後期等々

の歴史の舞台に登場する場所で今回訪れてみました

一緒同行した弟が峠から見る猪苗代湖の景色が映画『あゝ野麦峠』の

シーンに似ていると突然言い出して、調べてみると確かに

映画ロケ地でした

ブログ読者になって頂いております虻熊さんも過去のブログに

掲載されておりました (参考になりました)

御霊櫃峠(ごれいびつとうげ)は、福島県郡山市にある

郡山市逢瀬町湖南町の境となる場所にある標高876mほどの峠 付近の山からは猪苗代湖郡山市街が見下ろせる

登山道沿いにある櫃石(ひついし)は神霊をうつして五穀豊穣を祈願したとされる巨石で、峠の名の由来になっている

御霊櫃峠(ごれいびつとうげ)への林道を進む

静かに佇む御霊櫃峠 晴れていれば風光明媚な峠

平安時代後期、前九年の役では、源義家の家臣・鎌倉景正(景政)が付近を平定して御霊の宮を造営し、鎮護を祈ったが災害が相次いだ為、この地の山中の霊石に神霊をうつして五穀豊穣を祈願した この石が御霊櫃と呼ばれるようになったから名付けられたと伝えられる

幕末戊辰戦争会津戦争)で会津藩薩摩藩長州藩らの官軍の進軍を防ぐ要衝の地となり、峠周辺には現在でも防塁の跡が残る

御霊櫃峠(ごれいびつとうげ)眼下には猪苗代湖

晴れていれば猪苗代湖がブルーに見えるのですが!

あゝ御霊櫃峠 (ネット画像をお借りしました)

映画『あゝ野麦峠』のワンシーン (一緒に同行した私の弟が突然言い出しました)

ここから見える猪苗代湖諏訪湖に見立てての撮影だったようです

険しい冬の雪道を踏み越えてその工場がある町(現岡谷市)を目指すと言う内容だった

映画 あゝ野麦峠は、映画の中では岐阜県高山市にあり、県境の峠の頂きから見下ろす湖は「諏訪湖」だったのだが、実はその光景こそ、1978年頃にこの「御霊櫃峠」がロケ地として使われた場所だった

大竹しのぶ当時21歳、1979年の映画『あゝ野麦峠』のショット郡山市御霊櫃峠で撮影

御霊櫃峠にある 倒れている案内板

曇り空で残念です

晴れていれば会津方面、猪苗代湖絶景が見られたはずでした

御霊櫃峠から眺める猪苗代湖

 

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峠が駅になっている奥羽本線峠駅

こんばんは!

今回の記事は8月6日から7日にかけて福島県会津山形県米沢を周遊した

旅の模様を順不同でお届けしたいと思います

まづ初めに訪れて見たかった奥羽本線秘境駅峠駅を取り上げてみたいと思います

峠駅(とうげえき)は、山形県米沢市大字大沢字峠にある、東日本旅客鉄道JR東日本奥羽本線 「山形線」の愛称区間に含まれている 山形新幹線は通過し、普通列車上下各6本が停車する 山中にある無人駅で、秘境駅として扱われることもあります 標高が626メートルと奥羽本線内で最も高く、当駅を境としてそれぞれの方向に下り坂となります

訪れた時間帯はAM8:00頃、列車が停車する時間に合わせて待機しました

奥羽本線峠駅入口

大きなスノーシェルターに覆われた峠駅

このシェルターはかつてスイッチバックで列車が峠越のため使われていた遺構です

奥羽本線峠駅付近にある峠の茶屋 力餅のお店(営業中)

峠駅 スノーシェルター

大きなスノーシェルター内にあるスイッチバック遺構

奥羽本線峠駅構内在来線レールを走る山形新幹線

この新幹線はフルスペックの新幹線とは違い、スモールサイズのミニ新幹線!

在来線を走る特急と同様の仕様だそうです 峠駅は通過のみです

在来線レールの幅はフルスペックの新幹線車両と同じ幅だそうです

(この区域だけの特別な仕様)

峠駅構内 レールの先はトンネルで福島方面

板谷峠は急勾配と豪雪による難所として知られ、もともと普通列車スイッチバックで登っていた このため、複雑な線路やポイントなどの施設が駅構内に設けられ、それらは雪から守るためスノーシェルターで覆われていた 民営化後の山形新幹線開業に伴う改軌工事を期に普通列車を電車化したためスイッチバックは廃止され、ホームも本線上に移設されたが、スノーシェルターは新たに設けられたホームの覆屋として流用され、上下線も含めて大きく覆った構造から独特の雰囲気となっている トイレは構内踏切横に男女共用で汲み取り式仮設トイレが設置されている

山形新幹線は通過し、普通列車上下各6本が停車する 山中にある無人駅

奥羽本線峠駅待合室

スノーシェルターで覆われた峠駅構内

スノーシェルターで覆われた峠駅構内

古くから駅の名物となっており、2025年(令和7年)現在でも昼間の普通列車が停車する度に駅売りの声が響く 駅前の「峠の茶屋 力餅」が製造し、店内でも販売されている

一折8個入りと10個入りがあり、立ち売りでは以前1,000円で10個入りのみを販売していたが、2022年(令和4年)6月現在では8個入りのみを1,000円で販売している 立ち売りは日中の列車で行う 全く売れない日もあるが、日本国内の駅ではほぼ姿を消した飲食物の立ち売りを続けている ホームでの立ち売りを行っていない朝夕の列車でも、事前に電話予約やメール予約をしておけば停車中に購入することができる 購入時は、最後尾1番後ろのドアから購入することができる また、電車の4人対面シートの窓は、開けることができ、窓越しの購入もできる

奥羽本線峠駅構内より山形県米沢方面を眺める

奥羽本線峠駅 米沢方面行き列車

すれ違いも厳しい山中の林道を上り詰めると峠駅分岐に至る

峠駅隣りの無人駅 板谷に立ち寄る

無人駅 板谷

無人駅 板谷 スノーシェルター左側に板谷スイッチバック遺構が見える

 

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古峠(旧和田峠)を訪ねて

こんにちは!
goo blog登録者の皆様いかがお過ごしでしょうか?
私もサービス終了に向けて引っ越しの準備を進めている所です
引っ越し先ははてなブログ 数多くの blog掲載した記事をダウンロード中です
ダウンロードを進めていますが(3日間経過) まだ終わっていません!
あとどのくらいの時間がかかるのか!
ダウンロードが終了するとはてなブログへのインポートに同様の時間を
要することになりそうです 全ての作業が完了次第ご連絡したいと思います
はてなブログを開設してテスト記事投稿をしてみました 慣れると簡単そうです!
本日の記事は古峠(旧和田峠)を訪ねてと題しまして
江戸時代参勤交代等々の街道として使われた古峠(旧和田峠)をお届けしたいと思います

中山道古峠 和田峠
中山道設定以来、江戸時代を通じて諸大名の参勤交代や
一般旅人の通行、物資を運搬する牛馬の往き来などで
賑わいをみせた峠である
頂上に、遠く御嶽山の遙拝所がある 
冬季は寒気も強い上に、降雪量も多く、
冬の和田峠越えの厳しさは想像を絶するものがあったであろう
明治九年(1876)東餅屋から旧トンネルの上を通って西餅屋へ下る
紅葉橋新藤が開通したため、
この峠はほとんど通る人はなくなり古峠の名を残すのみである

現在の和田峠(霧ヶ峰方面ビーナスライン)から古峠へ
登山道を20分程歩くと旧和田峠に着くようです

ハイキングコースを進む

ハイキングコースを進むと旧中山道古峠 和田峠が見えてきました

中山道古峠 和田峠

かつて、諸大名の参勤交代や
一般旅人の通行、物資を運搬する牛馬の往き来などで
賑わいをみせた古峠



諏訪側からの整備された旧中山道古峠への道

中山道古峠から諏訪方面を眺める

古峠に残る 木曽御嶽山の遙拝所碑

中山道古峠 和田峠より霧ヶ峰方面ハイキングコースが延びている
扉峠方面へ

何時のころから旅人を見守っていたのでしょうか
中山道古峠 お地蔵様



中山道古峠 和田峠



江戸時代を通じて諸大名の参勤交代や
一般旅人の通行、物資を運搬する牛馬の往き来などで
賑わいをみせた峠と記された 案内板

中山道古峠 和田峠より眺める浅間山
木々の間より長野県小県郡長和町方面の景観

長野県小県郡長和町方面より古峠を振り返る

ビーナスライン車道わたり返します



ビーナスライン登山口まで戻ってきました



霧ヶ峰方面ビーナスライン車道

現在の和田峠 和田峠茶屋  向かいに駐車場有


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桜咲く奥武蔵グリーンライン峠巡り

こんばんは!
本日の記事は桜咲く奥武蔵グリーンライン峠巡りと題しまして
4月16日に訪れた奥武蔵峠巡りのドライブの模様をお届けしたいと思います
標高が800mのグリーンラインには桜が満開を迎えておりました

桜咲く定峰峠茶屋(さだみねとうげ)

定峰峠は埼玉県東秩父村にあり
比企郡小川町へとぬける峠道 白石峠や堂平山、
奥武蔵グリーンラインとも繋がっている

定峰峠
埼玉県秩父市東秩父村の堺にある峠 標高613m

定峰峠より秩父市方面を眺める

桜咲く定峰峠

堂平山(どうだいらさん)頂上にある天文台
1962年(昭和37年)に
東京天文台(現・国立天文台)の堂平観測所が設置されたが、
2000年(平成12年)に閉鎖
その後しばらく観測施設は利用されていなかったが、
2005年よりときがわ町星と緑の創造センターとして開所

堂平山(どうだいらさん)は、
埼玉県比企郡小川町、ときがわ町秩父郡東秩父村の境界にある
標高875.8mの山

堂平山(どうだいらさん)頂上からの眺め

堂平山(どうだいらさん)頂上から埼玉県の百名山
両神山も良く見えていました

堂平山(どうだいらさん)頂上から奥武蔵の山々が見えていました

堂平山(どうだいらさん)頂上から秩父市群馬県方面の眺め



白石峠 (埼玉県)
埼玉県秩父郡東秩父村から同県比企郡ときがわ町にかけての峠

白石峠

白石峠より定峰峠方面を眺める

白石峠

奥武蔵グリーンラインから苅場坂峠(かばさかとうげ)へ

桜咲く苅場坂峠(かばさかとうげ)
埼玉県比企郡ときがわ町飯能市秩父郡横瀬町の境目にある標高818mの峠

かつて峠には茶屋があったが、
2009年に取り壊され跡地は更地となっている
北側の展望が素晴らしく、天気が良いと上越上野国越後国)から
日光、筑波山まで見渡せる
ここから林道苅場坂線を飯能市正丸に向けて下る途中に
高麗川の水源があり、「高麗川源流保全の碑」がある

桜咲く苅場坂峠(かばさかとうげ)







奥武蔵グリーンラインの案内板

不定期で営業している茶店(キノコ汁、雑貨等)
埼玉県北本市から苅場坂峠に日祭日中心に通っているとの事

関八州が見渡せる苅場坂峠に建つ石碑

奥武蔵グリーンライン上にある苅場坂峠
日祭日ともなれはサイクリングロード、ツーリング、ドライブ等々
賑わう景勝地

4/16飯能市外郭団体による飯能市水源林調査が行われ、
ヤマハ発動機製小型ヘリコプターが使われました
ドローンと違いガソリンで起動する為、1時間以上自動操縦可能
とのことでした

苅場坂峠上空を飛ぶヤマハ発動機製小型ヘリコプター


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